シロリムス以外の分子標的薬

シグナル伝達経路、分子標的薬(治療薬)ってなんですか?

血管・リンパ管は日々、新しく作られたり、形を調整することで、機能が維持されています。これらは血管・リンパ管細胞の遺伝子の働きによってコントロールされています。そして、遺伝子から実際に血管・リンパ管が形成されるまでの間には、細胞の中で、いくつものシグナルの伝達が行われています(シグナル伝達経路と呼ばれます)。この経路のどこかに不具合が生じることで、血管腫・血管奇形(脈管奇形)が発症するのではないかと考えられています。

血管腫・血管奇形の原因遺伝子の多くは、下図に示すシグナル伝達経路上の分子に集中していることがわかってきています。シグナル伝達経路とは、細胞の膜にある受容体に「指令」が入った後、細胞の中に血管やリンパ管を作るように指示する信号の経路です。この重要な分子を抑える薬のことを「分子標的薬(治療薬)」と呼びます。

重要な経路は2つあり、1つ目は、静脈奇形やリンパ管奇形などの低流速型ていりゅうそくがた脈管奇形を起こす、PI3kinase/AKT/mTOR経路は“PIKopathyピコパシー”と呼ばれます。2つ目は、動静脈奇形のような高流速型脈管奇形や難治性リンパ管疾患などの原因となるRAS/MEK/ERK経路で“RASopathyラソパシー”と呼ばれます。

シロリムスとシロリムス以外の
分子標的薬の違いを教えてください。

シロリムスはmTORを抑えるため、PIKopathyピコパシーの特効薬となり、PIK3CA遺伝子異常のある、「静脈奇形、リンパ管奇形、クリッペル・トレノネー症候群、PIK3CA関連過成長スペクトラムなど」に効果が期待できます。シロリムス以外にも、この経路の治療薬になるのが、PI3K阻害剤である「アルペリシブセラベリシブ」や、AKT阻害剤である「ミランセチブ」です。

また、RASopathyもいろいろな治療薬があり、MEK阻害剤である「トラメチニブ」やBRAF阻害剤である「ベムラフェニブ」などです。

これらの薬剤は、国内で様々な癌などに対して保険が適応されていますが、シロリムス以外は、血管腫・血管奇形を対象とする医薬品としての承認はされておらず、まだ開発が途中、もしくは準備段階です。そのため、実際には治験や臨床試験に参加しない限り、使用することはできません。

PI3K阻害剤のことを教えてください。

2018年にフランスのグループがPI3Kα選択的阻害剤であるアルペリシブPIK3CA関連過成長スペクトラム(症候群)(PIK3CA-related overgrowth spectrum、PROS)であるCLOVES症候群19例に投与したところ、全例に病変の縮小などの臨床症状の改善を認めたと報告しました。これは非常に画期的な結果で、大変驚きました。

その後、5か国7施設でPROSに対し、アルペリシブを投与した57例のレビュー研究(EPIK-P1)を行ったところ、24週時点で27%(10/37)のPROS患者に20%以上の病変体積の縮小と疼痛(90.9%、20/22)、疲労(76.2%、32/42)、四肢の非対称性(69%、20/29)、血液凝固異常の改善(55.2%、16/29)を認めたという結果が得られました。

その結果をもとに、米国食品医薬品局(FDA)は重症で生命を脅かす危険性のあるPROSに対し、2022年4月に迅速でアルペリシブ商品名Vijoice、ノバルティスファーマ株式会社)が承認されました。

日本では、別のPI3Kα阻害薬であるセラベリシブ(ART-001)の開発が進められています。セラベリシブは、もともと武田薬品工業株式会社が固形癌の治療薬として開発を行っていましたが、2018年にアーサムセラピューティクス株式会社(横浜、日本)がその開発権利を取得しました。
2021年から国内8施設で、低流速型脈管奇形である静脈奇形、リンパ管奇形、クリッペル・トレノネー症候群の2歳以上の患者を対象にした多施設共同二重盲検ランダム化第Ⅱ相試験が行われ、有効性が認められ、臨床的に大きな問題となる事象は認められませんでした。

MEK阻害剤のことを教えてください。

MEK阻害剤であるトラメチニブはMAP/ERKシグナル伝達経路を阻害することによって抗腫瘍効果を発揮する薬剤です。現在、国内ではBRAF遺伝子変異を有する悪性黒色腫、非小細胞肺癌に承認されています。

海外から、シロリムス療法に抵抗性であったNRAS変異を認めるリンパ管腫症などへの治療効果を示したとする症例報告などがこの数年で、散見されるようになってきています。

さらにシロリムスの治療効果が乏しいとされる動静脈奇形に対する有効性が期待されており、現在、海外ではいくつかの臨床試験が実施中です。2022年のISSVAでも非常に素晴らしい治療効果が報告されていましたので、大変期待をしていますが、国内ではまだ治験の予定はありません。

サリドマイドのことを教えてください。

抗血管新生薬であるサリドマイドは、半世紀以上前に妊婦における睡眠導入剤として世界中で使用された薬剤ですが、服用した妊婦から生まれた胎児の四肢に重篤な催奇性を示したことから、サリドマイド薬禍といわれるほどの世界規模の薬害問題を引き起こした薬剤です。現在は、その治療効果が見直され、多発性骨髄腫などに使用される薬剤となっています

最近、オスラー病や動静脈奇形に対する治療効果が注目されています。ベルギーのBoon先生らは18例の重症動静脈奇形にサリドマイドを投与したところ、全例に疼痛や出血の改善を認めたと2022年に報告しています。非常に効果的であり、大変期待される薬剤です。
国内では、「オスラー病関連鼻出血に対するFPF300の前期第II相試験」という治験が行われ、終了しています。

参考文献

  • Venot Q, Blanc T, Rabia SH, et al: Targeted therapy in patients with PIK3CA-related overgrowth syndrome. Nature 558: 540-546, 2018
  • Chowers G, Abebe-Campino G, Golan H, et al: Treatment of severe Kaposiform lymphangiomatosis positive for NRAS mutation by MEK inhibition. Pediatr Res 4: s41390-022-01986-0. 2022
  • Boon, LM, Dekeuleneer, V, Coulie J et al: Case report study of thalidomide therapy in 18 patients with severe arteriovenous malformations. Nat Cardiovasc Res 1; 562–567, 2022

発展編

DNA、遺伝子とはなんですか?
どうして病気が起こるのですか?

シロリムス以外の分子標的薬

血管やリンパ管も含め、人体は60兆個の細胞からできています。それぞれの細胞の中に核があり、その中に染色体が含まれています。染色体を構成しているのが、DNAディーエヌエーデオキシリボ核酸かくさん)と呼ばれる分子です。DNAは長い2本の鎖状の分子がからみあった二重らせん構造をしたものです。4つの塩基の組み合わせによって細胞の元となるタンパク質を作るDNAを遺伝子と呼び、いわば“細胞の設計図”となります。

その遺伝子から「転写てんしゃ」「翻訳ほんやく」と呼ばれるプロセスを得て、その配列に相当するタンパク質が作られます。その遺伝子の配列に異常があると、正常な機能が損なわれ、異常なタンパク質が作られてしまうため、そのタンパク質に関係する細胞に異常が発生し、病気になるのです。

遺伝子からタンパク質合成と病気

血管腫・血管奇形(脈管奇形)の発症に
関係する遺伝子は何ですか?

正常な血管、リンパ管を作るためには、血管の細胞の中にある遺伝子の働きが重要です。特に血管、リンパ管を作る(血管新生)、あるいは細胞の増殖、細胞周期を調整する遺伝子である、TIE2タイツーRASラスMAP2K1マップツーケーワン(MAP)マップPI3KピイアイスリーケーmTORエムトールが代表です。

これらの遺伝子の配列が異常であった場合、異常なタンパク質が作られてしまいます。そのため、正常の大きさや働きを持たない血管・リンパ管ができてしまい、血管腫・血管奇形(脈管奇形)を発症してしまうのではないかと考えられています。

最近、遺伝子の解析技術が発達し、多くの血管腫・血管奇形疾患の原因遺伝子が明らかになってきました。原因遺伝子がわかると、病気がどうして起こるかがわかり、さらに治療法に結びつく可能性に繋がります。

エムTORトールのことを詳しく教えてください。

細胞は血管やリンパ管を作るための外部からの「指令」を受容体が受けた後、細胞の中に信号を伝えます。この流れを、シグナル伝達経路といい、「RAS経路」「PI3K/Akt/mTOR経路」が重要とされています。血管腫・血管奇形はこの流れの遺伝子に異常があるため、勝手に異常なタンパク質が産生されてしまいます。そのため、血管やリンパ管を作る機能が活性化した状態となっており、病気の血管やリンパ管を作り出してしまうのです。

mTORはこのシグナル伝達経路の最後の重要な分子です。そのため、シロリムスによってmTORタンパクの活性化を抑えることによって、治療効果を発揮すると考えられています。

このように、mTOR以外のタンパク質も含め、活性化を抑える薬が、様々な病気の治療薬として注目され、「分子標的治療薬」と呼ばれています。

“遺伝子異常”って、どうやって調べるのですか?

現在、遺伝子を調べる方法は多数ありますが、一番有名なものは、コロナでよく知られるようになったPCR法です。PCR法以外にも診断に使用する遺伝子検査はたくさんあり、それぞれに特徴があって、使い分けています。

また検査の材料も、調べたいものによって変わります。病原体の遺伝子検査は喀痰などから病原体(ウイルス、細菌)の核酸(DNA、RNA)を検出、解析します。遺伝子疾患や身体の体質などを調べる場合は、血液口腔粘膜、毛髪などを用います。これは、「生殖細胞系列遺伝子検査」と呼ばれています。また癌や血管腫・血管奇形では、病気の異常な組織にのみ起こっている遺伝子異常を検出する目的で、組織検体を用いた「体細胞遺伝子検査」を行います。その時に用いる検体は、手術で採取した組織をすぐに凍らせたものか、ホルマリン固定した検体(パラフィン包埋)になります。

用意した検体の細胞から核酸を抽出します。細胞膜を破壊して、その中のタンパク質を取り除き、DNA・RNAを抽出します。PCR法とはそのDNAをハイブリダイゼーションといい、特定の領域を増幅させる技術です。それによって、PCR産物が増え、わずか20サイクルで100万倍に達します。その後、DNAの塩基配列を決定します。こうした技術が最近進歩したため、解析、配列決定が驚くほど速くなってきています。

 最後に、解析結果を解釈し、病気の診断に繋げます。現在、血管腫・血管奇形の遺伝子診断法は確立されている訳ではなく、保険が適応されているものもありません。あくまでも研究の段階ですが、将来的に診断などにも使用ができるよう、研究が進められています。

血管腫・血管奇形(脈管奇形)の遺伝子異常は、
どのように見つかったのですか?

血管腫・血管奇形(脈管奇形)の原因遺伝子の最初の発見は、家族性の皮膚粘膜静脈奇形およびオスラー病患者からでした。患者さんの家系の血液細胞を遺伝子解析したところ、生殖細胞の片側の染色体上の遺伝子に変異を認めたのです(常染色体顕性遺伝形式)家系の中には、症状も無い方もおられました。またその遺伝子異常が一つあるだけで、このような病気を発症するということは疑問が残ります。

その後、血液細胞だけでなく、病変由来のDNAの解析により、別の染色体側に体細胞変異が検出されたため、2段階かけて発症している(セカンドヒットによる発症)と考えられました。

さらに近年の次世代シーケンサーを用いたディープシーケンスなどの解析技術の進歩によって、2009年に初めて、孤発性の静脈奇形の病変部位より、低頻度(5〜20%程度)の体細胞モザイク変異が発見されました。その後、毎年のように多くの病気で遺伝子変異が見つかってきています。またその変異を実験で組み込んだモデルマウスの検討も行い、これらの遺伝子変異によって病気や脈管形成の異常、骨軟部組織の過成長が起こることも証明されていますが、それぞれの疾患の発症のメカニズムが完全にわかった訳ではないため、さらに研究が必要です。

脈管異常に関わる遺伝子異常発見の歴史